ある海辺の詩人−小さなヴェニスで−/アンドレア・セグレ監督

詩情豊かという言葉がありますが、この映画、全編「詩」そのものです

何となく気になっていたのは、ジャ・ジャンクー監督の作品のほとんどに出ているチャオ・タオが出ていることを知ったからなんですが、まあタイミングが合わなければ見なくてもいいかといった感じでした。

が、何と! 見逃していたら後悔するところでした!

「詩情豊か」という言葉がありますが、そんな言葉をはるかに超えて、この映画、全編「詩」そのものです。

美しいです。風景も、人も、流れるようなカメラワークも、色彩のトーンも、編集も、とにかく美しいです。そして何よりアンドレア・セグレ監督の被写体を見つめるまなざしが美しいです。まなざしに美しいが合わなければ、素晴らしく詩的と言い換えましょう。

舞台は「小さなヴェニス」と呼ばれる(らしい)港町キオッジャ。行ったことがないのでよくは分かりませんが、写真を見る限り確かにそれらしい雰囲気はあります。ただ観光地ではなくイタリア国内でも屈指の漁港とあります。

映画の中でも漁港らしい描写はありますが、登場人物がすでに現役を引退した年齢の人たちが多く、活気のある漁港と言うよりはさびれてはいるが雰囲気のある港町といった感じです。そういえば、輝く太陽(私の勝手なイタリアのイメージ)といったシーンはほとんど(全く?)なく、全体的に夜のシーンが多かったのですが、昼間でも雨や霧のシーン、太陽が出ていても夕陽っぽいシーンといった具合に、かなり意図的に作り込まれていました。

シュン・リー(チャオ・タオ)は、シングルマザーなんでしょうか、8歳の子どもを中国に残し、イタリアに出稼ぎに来ています。当然ながら、そこにはチャイナ・マフィア(のようなもの?)が介在し、行動に自由などありません。ローマの工場で働いていたシュン・リーはキオッジャのオステリア・パラディーゾに異動(?)させられます。賃金がどうなっているのかも定かではなく、渡航費でしょう、賃金は借金返済に充てられるようで、いつまで働けば解放されるかもボスの意のままのようです。

ただ、勘違いしないでください。そうした境遇が悲惨であると語ったり、匂わせたりするシーンは一切ありません。むしろ逆で、搾取するボスも搾取されるシュン・リーも、個々の人間関係ではそれぞれありますが、全体としては中国からの移民問題として扱われており、たとえば、飲みながらではありますが、現在の中国人の世界への拡散が新しい「帝国」主義として語られたり、シュン・リーがべーピ(ラデ・シェルベッジア)と親しくなることを、中国女性がイタリア人と結婚して(イタリアの)財産を乗っ取っていくと揶揄したりするシーンがあります。

そのベーピも、30年くらい前にユーゴスラビアからやってきた移民です。時に「スラブ人に分かるか」とのやり取りもありますが、「今は皆キオッジャ人」と切り替えされるなどすっかり溶け込んでおり、それだけがシュン・リーと親しくなるきっかけというわけでもありません。息子(ベーピの)が心配だから一緒に住まないかと言ってきたり、シュン・リーの子どもの話を聞いたり、父親と娘的な(年齢的にはそう)感情であったり、あるいは男女間の愛情であったり、そうした様々は思いが絡まり合って二人は親しくなっていきます。

二人の会話に面白いシーンがありました。ベーピがシュン・リーに中国のことを聞くシーンで、中国のことを「毛沢東の国だね」と言うと、シュン・リーが「もう死んでるけど」と答え、それに対し自分も「共産主義者だった」「チトーもいない」と言います。何とも深く味のある会話です。

といった感じで、二人が親しくなっていく様もそうですが、毎日のようにオステリアにやってくる人々や中国人のボスまでもが実に詩的に描かれていきます。

そうそう、アンドレア・セグレ監督は、もう一人重要な人物を配しています。シュン・リーがキオッジャにやってきて同室となる女性がいるのですが、どんな人物か描かれない割に、ドラマ的にもかなり重要な役回りで時々顔を出すんです。なぜかひとり海辺で太極拳をやったりします(笑)。

ただ、私は、この人物を出したのは失敗だと思っているのですが…。

まあそれはともかく、その後の展開(オチ)はさほど重要ではない(と私は思う)ので省略しますが、ドキュメンタリーのような映像感覚をもった素晴らしい映画でした。

アンドレア・セグレ監督は、これが劇映画デビュー作で、長くドキュメンタリーを撮ってきているとのこと、興味深い経歴ですね。「イタリア映画祭2012」で来日したときのインタビューがありました。インタビューも興味深いものです。