ロバート・ログバル監督/神の子どもたちはみな踊る

が実に村上春樹らしい!ちょうど村上春樹を読みあさっていた(?)頃に公開されており、気になっていた映画です。

その時のコメントに「村上春樹の原作は日本人より海外で映画化された方が、まとも(?)なものになりそうな気がする」なんて書き残していますが、あたりでした。この映画、村上春樹らしさがうまく捉えられています。

「村上春樹らしさ」とは何か?などと大仰にふりかざすつもりはありませんが、それなりに代表作を読んできた理解から言えば、村上春樹の小説作法は、決してモノコトの本質にせまろうとする過程ではなく、モノコトの表層を記述し続けることによって、なにかしら自分の中にあるぼんやりしたものをあぶり出そうとすることだと思います。

多くの場合、主人公のアイデンティティの喪失感がベースとなっており、その主人公が見聞きするまさにモノコトの表層が書き綴られていくわけです。それは言うなれば、バブル以降やたら登場した「自分探し」にかなり近いものだと言えます。今ではその言葉もやや陳腐化していますが、むしろその概念はグローバル化しつつあるのではないかと思われ、それゆえにこそ今の若い世代に受け入れられやすいのではないかと言えます。多くの作品が、とても分かりやすく、自分を重ねやすい構造になっています。

で、この映画、私は原作を読んでいませんのでどの程度原作に忠実なのか分かりませんが、上の意味においては、描き方においても映像的にもとても村上春樹らしいのです。もちろん設定はロサンゼルスに置き換えられていますし、主人公もアメリカ人、それもかなりややこしい、コリアタウンに暮らす中国系の日本名「ケンゴ」という名を持つアメリカ人になっています。この設定がうまいです。村上春樹の持つ「バタ臭さ」、カッコよく言えば「無国籍さ」が、どの国から見ても感じられるという、実にうまい設定です。

映像的にも、ロバート・ログバル監督が「映画、TVの美術監督やプロダクション・デザイナーを経て、アノニマス・コンテント社でCMディレクターとして活躍」している人らしく、ほどよい感じで美しく撮られています。

とにかく、村上春樹的な映画とは、あまり内省的にならず、あまり深入りせず、さらりと映像的に処理する、そしてセルフドキュメンタリーならぬ、セルフフィクションとして撮ることだと思います。

結局見なかったのですが、たぶん「ノルウェーの森」はその点において失敗しているのでしょう。