ペルシャ猫を誰も知らない

イランという国も、その現在を知ることが難しい国の一つだが、この映画を観ると、「ああ、いっしょなんだ…」と、あらためて思う。

およそポップミュージック=アメリカ的と考えられるからなんだろう、出てくるミュージシャンすべてが、逮捕の危険を感じ、アングラ的活動をしている。と言っても、皆、それほど悲愴的ではなく、逮捕されても、警察を口でまかしてしまうほど、タフだ。

しかし、映画としては、なかなかつかみづらい。いつまでたっても、ドラマ(を描こうとしているわけではない)がどう展開していくのかはっきりしない。アシュカンとネガルが、自分たちの音楽をやるために、ロンドンへの脱出を計画し、また最後のコンサートをやるために、仲間を募ったり、偽造パスポートを手に入れようとするわけだが、その間に、たくさんのバンドが紹介される。そう、まさにバンドの紹介のように、映画は進んでいく。

撮影は…、もちろん室内の撮影はきちんと撮られているのだが、街中の撮影は無許可のゲリラ撮影をしたらしく、映画の半分くらいを占めているのではと思われる、それぞれのバンド演奏の映像は、まるでMTVのように、街の風景や出演者の何気ない映像のカットバックが繰り返される。

まあ、それはそれ、それこそイランの現在が感じられ、悪くはない。

ラストは予想を覆させられた。展開としては当然、アシュカンとネガルの最後のコンサートで盛り上げるのだろうと思っていたら、全くの逆だった。私には、そのことで印象に残る一作となった。

やや見逃し気味だが、あれはネガルの自殺のカットだったのだろうか? DVDを待つ。


映画『ペルシャ猫を誰も知らない』予告編