ハート・ロッカー

ハート・ロッカー(字幕版)

ハート・ロッカー(字幕版)

アカデミー賞に、取り立てて注目しているわけではありませんが、それでも「アバター」をおさえて、作品賞、監督賞を受賞と聞けば、まだまだアメリカ映画界(ちょっと大層?)もすてたものじゃないかも?と思い、観てきました。

ん…、あれ? この映画、単純な戦争アクション映画ではなく、ひりひりする緊迫感や心理描写が売りと聞いていたのですが、なぜなんでしょう? 私には、妙にのどかにみえた(現在進行している戦争に関する言葉としては不適切かも知れません)んですよね。

今考えてみると、結局、カメラの視点、言うなれば監督の視点ということになりますが、それがどこにあるのか、よく分からなかったということだと思います。映像的には、よく言われるように、手持ちカメラを多用したブレ映像でドキュメンタリーのような演出(まさに演出にみえるんです)をしているんですが、でも、映画の軸となっている(している)のは、アメリカ映画の源流であるヒーローものとさして変わりませんし、描かれるヒューマニズムにしてもその範囲内ですので、とても違和感を感じます。つまり、まず映像的なあざとさを感じてしまい、たとえば、冒頭のシーン、遠隔操作の爆発物処理ロボットの動きを地を這うようにアップでとらえている映像などは、ロボコンか?などと思ってしまい、たとえそれが現実であろうと、リアリティを出そうとすればするほど、現実感は失せていくことになってしまいます。

と言ったわけで、私にとっては、あまり集中できる映画ではなかったようで、観ながら「アメリカって国は、建国以来、こうやって休みなく戦争をしている国なんだなあ」などと、いろいろ考えてしまいました。第二次大戦以前はよく分かりませんが、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、その他紛争介入をあげたらきりがないでしょう。

戦争映画というジャンルがあるくらいですから、戦争を題材(?)にした映画はたくさんありますが、アメリカがらみで言えば、「地獄の黙示録」や「プラトーン」など、ベトナム戦争をあつかったものには、内省的な映画も多かったように思います。

しかし、この「ハート・ロッカー」が描く兵士達の苦悩は、アメリカ世論の反映のような、多くのアメリカ人が命を落とせば厭戦気分が広がるといったものを超えてはいず、たとえば、イラク人の描き方などは、西部劇のインディアン(あえて使っています)や第二次大戦の日本人の描き方に通じるところがあり、決して、彼らは、理解しようとする対象ではなく、「ギブミーチョコレート」と寄ってくれば、庇護し、可愛がりますが、そうでなければ、遠く離れて、ただ立っているだけでも「敵」と見えてしまうのです。

と書きつつ、あらためて考えてみると、この映画、結果的に、実によくイラク戦争の本質をとらえているような気がしてきました。

というのは、冒頭に書いた「のどか」にも通じるのですが、この映画に緊迫感があるとすれば、極めて局所的なものであり、戦争そのものの緊迫感には迫っていないというか、迫りようがないのではないかと思うのです。

イラク戦争とは何か?に答えることが、私にできるわけではありませんが、私が思うところの「意味不明の戦争」の渇ききった感覚を、この映画は、実によく現しているように思うのです。