はちどり

キム・ボラ監督の記憶の映画のように見える…

全編、幻を見ているような映画です。

あるいは、思春期、この映画のウニは14歳ですが(私には)すでに遠い過去になってしまったあの頃、世界はこう見えていたのかもしれません。

はちどり

はちどり / 監督:キム・ボラ

…とは思うのですが、映画としては非常にわかりにくいです。

もう少し正確に言いますと、わかりにくいシーンが何シーンかあり、そのシーンが全体のトーンから浮いて妙に印象づいてしまうということです。

映画は14歳のウニ(パク・ジフ)の数ヶ月(か半年くらい?)を描いているのですが、そのウニは全体としては大人に対してあまり感情を表に出しません。

それが14歳という年齢らしい(と大人が感じる)自分の居場所を探しあぐねているようでもあり、どこか大人の世界を拒絶しているようでもあり、要は何を考えているのかわからないという存在に見えてくるのだと思います。

冒頭、かなりインパクトのある入り方をしています。ウニが家(団地)の玄関チャイムを鳴らします。しかし誰も開けてくれません。再び鳴らしますがやはりドアは開きません。お母さん、開けてよと声に出します。でも開きません。幾度もチャイムを鳴らすウニの声が必死さを帯びてきます。ドアノブをガチャガチャするウニの声は叫び声にかわってきます。そして、部屋番号のカット、階段を登るウニ、チャイムを鳴らしますと母親がドアを開けてくれます。

この一連のシークエンスがウニに見えている母親を表現していることは間違いないでしょう。少なくとも、ウニにとっては自分が間違えているかも知れないと頭に浮かぶ前に母親はこういうことをする人物であると見えているということです。

似たようなシーンが中程にあります。前後がどうであったかはかなり曖昧ですが、ウニが町中で母親を見つけます。後ろ向きの母親を仰ぎ見るようなカットだったと思います。ここもウニの目線でしょう。ウニは幾度もお母さんお母さんと呼び、冒頭と同じようにその声は叫び声に近くなっていきます。でも母親は振り向きはしません。

なぜウニには母親がこうまで遠い存在と感じられているのでしょう。

映画が語っていませんのでわかりません。記憶している限りではこれらのシーン以外の母親は、たとえば家事をしている、働いている、家族で食事をしている、お礼の品をもたせてくれる、チヂミを作ってくれるなど客観視点で描かれており、極めて一般的な母親であり、それに対してウニが何を感じているかを映画は語っていません。

ウニが耳の下のしこりの手術をすることになり、病院でウニと父親が並んで座っているシーン、突然父親が声を上げて泣き始めます。泣く理由が何かというよりも人目を憚らず泣く父親の姿はかなりインパクトがあり唐突でもあります。

かなり極端な描写でもあり、父親の横顔のカットですからウニの目線と考えれば、父親が実際にあれほどの大声で泣いたかどうかよりも、ウニには父親が泣くこと自体が極めて特別なことであるということなんだと思います。

後半、聖水大橋が崩落し、ウニの姉が巻き込まれたのではないかと大騒ぎになるも無事だったとなり家族で食事するシーン、ウニの兄が突然泣き始めます。

これも、え? どうした? と唐突に感じます。特にこのシーンはウニ目線で撮られておらず、家族5人の食事風景であり兄は椅子に座り背中を見せています。不思議なシーンです。

ただこの兄は、スクリーン外で音だけの描写ですがウニに対して暴力を振るうという設定になっていますので、映画としてはそれに対するウニの思いがまったく描かれていないにしても、これも父親と同じようにウニには不思議に感じられたということなのかも知れません。

こうして妙に印象に残る不可解なシーンを並べてみますとすべて家族の描写です。

こういうことでしょうか。

甘えられる存在であった母親が次第に遠くに感じられるようになり、いつも威張っているだけの父親の見たことのない一面を見ることになり、同じく暴力的としか見えていなかった兄の弱さが見ることになったウニの変化は、これまで家族中心であった世界が外に大きく広がった結果ということなのかも知れません。

その変化と密接に関わっているのが学習塾の先生ヨンジ(キム・セビョク)との出会いです。出会いがきっかけというわけではなく家族を含め自分の周りによそよそしさを感じ始めたその穴にすっぽりはまったということでしょう。

こうしたことは割の多くの人が経験しているのではないかと思います。人生を変えてくれたひとりとして記憶されていきます。

「知っている人の中で本心まで知っている人は何人?」(予告編から)

ヨンジがウニに問いかけます。おそらくウニは、友だちも、付き合っている男の子も、そしてふと考えてみれば家族の誰もが何を考えているかわからない存在に見えている自分に気づいたのでしょう。

このシーン、私は正直なところ、映画とは言え(笑)なんて罪なことを聞くんだろうと思いましたが、こういう言葉は不安定な精神状態のときにはぴたっとはまってしまうものだと思います。

ウニはヨンジに強く惹かれていきます。しかしヨンジはウニへの手紙を残して聖水大橋崩落事故で亡くなってしまいます。

手紙の内容はあまりはっきり記憶していませんのでググりましたら、映画「ハチドリ」 l KBS WORLD Radio の成川彩さんによれば「悪いことが起こっても、それと共にうれしいことも起こる。私たちはいつも誰かに会って何かを分かち合う。世界はとっても不思議で美しい。」とのことでした。

時代背景は1994年、7月8日、金日成が亡くなり、テレビでニュースが流れ、誰かが戦争になるかも知れないと言っていました。10月21日、聖水大橋が崩落し32人が死亡し17人が重軽傷を負っています。

キム・ボラ監督は1981年生まれですから当時13歳か14歳、ウニと同時代を歩んできているということです。あるいはウニ目線のシーンは監督(自身のという意味ではない)の記憶の断片なのかも知れません。そしてまた、ヨンジのような人生が変わったと感じられる人物との出会いがあったのかも知れません。 

これはキム・ボラ監督の記憶の映画、それが「幻を見ているような映画」と感じた理由でしょう。

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