そんなには褒めないよ。映画評

映画を見てから読むブログ

「四月の永い夢」(ネタバレ)朝倉あきさんの映画ですね…。浴衣姿にドキッとします。

いい映画ですね。

特に何かが起きるわけでもなく、ひとりの女性の心の揺れのようなものがゆったりと流れていきます。

ただ何も起きないと言っても、いわゆる事件などのドラマチックな出来事が起きないだけで、その女性、滝本初海(朝倉あき)の心の中ではいろいろなことが起きているでしょう。映画はその起きていることを、これとはっきり語っているわけではありません。それなのに何かしら伝わってくるのです。

映画らしい映画です。 

監督:中川龍太郎

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公式サイト

 

監督は、中川龍太郎さん。

誰だっけ? と、頭の片隅に何か記憶があるなあと思いつつ、このブログを検索してみましたら、「愛の小さな歴史」という映画を3年ほど前に見ていました。書いた内容に記憶はあるのですが、正直、映画が蘇ってきません。

 

でも、この「四月の永い夢」は、おそらく3年程度で記憶されなくなることはないでしょう。

 

物語はこうです。

初海は教師をやっていたのですが、3年(くらい)前に辞めて今は蕎麦屋のアルバイトをして生活しています。辞めた理由には恋人の死が大きく関わっているようです。

国立市がロケ地のようですが、映画の舞台としてそうなっていたかは記憶がなく、むしろ人のつながりは(イメージとしての)下町っぽい雰囲気があり、実際蕎麦屋の女将(?)とか手ぬぐいづくりの町工場からの印象は、人のつながりによそよそしさがないという意味では下町という言葉からのイメージに近い感じです。

 

で、その初海の夏の一ヶ月くらいが映画になっています。

 

冒頭、桜と菜の花のコントラストの中に立つ喪服の初海のシーンから始まります。初海のナレーションがかぶります。その映像とナレーションが下のリンクで公開されています。

tokyonewcinema.com

 

世界が真っ白になる夢をみた

(略)

大学生になってわたしは東京に出てきた
四月の陽射しにほだされて わたしはようやく恋をえた

(略)

ふと目を覚ますとわたしの世界は真っ白なまま
覚めない夢をただようような 曖昧な春の陽射しに閉ざされて
わたしはずっと その四月の中にいた 

 

つまり、初海にとってこの3年間は、まるで時間が止まったかのような感覚の中で生きてきたということであり、その原因は3年前の4月の恋人の死にあるということです。

 

で、3年後の現在、その真っ白な世界が再び現実の色合いを取り戻し始めます。

 

きっかけとなるいくつかの出来事があります。

まずひとつは、亡くなった恋人の母親から、息子のパソコンを片付けていたら初海あてのファイルがあったとの手紙が来ます。

 

先に進む前に書いておきますと、この発端もそうですが、ラスト、その恋人の実家を訪ねるくだりからのシーンはちょっとつくりすぎですね。他のことが実に自然でとても気持ちよく流れていただけに、(余計なこととはいえ)残念です。

3年後に? ということはまあ映画ですのでおいておいても、その手紙には封をしたもうひとつの封筒が入っており、おそらくそれがそのファイルだと思うのですが、わざわざ母親がプリントアウトして、それをまた別の封筒に入れて送るということは、他の部分に比べてあまりにもつくりすぎているように思います。つまり、初海にその手紙を読む猶予を与えるための映画的なテクニックでしょうし、ましてや、ラストに明かされるその内容が何やらはっきりしないもので、初海にいい印象を与えそうもないと思われるものですのでなおさらです。

 

褒めておきながら貶すようなことから書くのもなんですが、止まった時間を動かすための発端ですし、ましてやその恋人の実家行きがこの3年間を吹っ切るための決意をもっての行動なんでしょうから、もう少しさらりと始め、さらりと終わってほしかったです(と、余計なことかも)。

勢いでもうひとつ余計なことを。

ラスト、初海は3年間ずっと心に引っかかっていたことを恋人だった男の母親(高橋恵子)に告白するのですが、それに対する母親の返しの台詞、「人生って何かを生み出していくものと思っていたけれども、本当は何かをなくしていくものかもしれない」って台詞はお願いですからやめて(ペコリ)。そんなこと言わせなくていいのにと思います。

 

これ、とても褒めている映画とは思えないようなことを書き連ねていますね(ペコリ)。

 

でもですね、きっかけとなる2つ目のことがとても映画的でいいんですよ。

手ぬぐいの染職人志熊藤太郎(三浦貴大)は初海の働く蕎麦屋の常連で、初海に好意をもっており、意を決して自分のデザインした手ぬぐいの展覧会に誘います。

でも、いまだ真っ白な世界にいる初海ですので、藤太郎の気持ちには気づきません。いや、気づいていても押さえ込んでいます。

で、初海は誘われたことをすっかり忘れているのですが、友人と会った帰りだったかにその会場の前を通り案内看板を見て思い出し会場に入っていきます。会場では藤太郎が客に手ぬぐいづくりの薀蓄を語っています。それを目にした初海のカット、そして客にありがとうございましたと藤太郎のカット、藤太郎にふっと何か感じるものがあったのでしょう、入口辺りを見ます。でもそこには誰もいません。

 

こういうところのセンスがいいですね。さらに、その後再会した時に、その話題が出ても、初海は、実は…なんて、ひとことも口にしないのです。

 

こういう積み重ねで作られる映画こそがいい映画だと思います。それにこの藤太郎をやっている三浦貴大さん、いいですね。出演本数は多く結構見ているのですが、印象に残ったのは「ローリング」で、それ以降は名前を見ますとふっと目がいくようになりました。この映画もそうです。言っちゃなんですが、お父さんよりはるかに存在感があります(ペコリ)。

 

で映画ですが、その後、ふたりは花火大会の夜に再会し、その帰り道に藤太郎が自分の職場である手ぬぐい工場へ初海を誘います。このシーンもいいですね。干してある自分がデザインした手ぬぐいをびりっと破って初海に使ってくださいと手渡したり、染め上げられた手ぬぐいが何本も干されている場所にふたりで寝転がっているのを上から撮ったカットとか、いい感じです。

 

初海にとっては、真っ白な世界に藤太郎の金魚と花火の手ぬぐいが風に揺られてふわふわと漂い始めた感じなんでしょう。その帰り道、初海はお気に入りの曲「書を持ち僕は旅に出る」をイヤホンで聞きながら、ついつい気持ちが浮き立ち、ステップまで踏んでしまいます。歌いも踊りもしませんが「雨に唄えば」みたいな感じで、カメラが初海と一緒に横へ動いていく手法を使っていました。

 

初海をやっている朝倉あきさん、始めて見ましたがいいですね。この浴衣のシーンは美しいです。それに、シーンによって微妙な表情の変化がとてもいいです。

 

赤い靴 MV 【書を持ち僕は旅に出る】 - YouTube

 

で、その初海、音楽を聞いてもらえばどんな雰囲気のシーンかおよそ想像はつくと思いますが、突然、何かを思い出したようにはっとして立ち止まります。当然音楽もやみます。

 

初海が何を考えたかは誰にでも分かりますよね。

 

そんなこんなで、ある日、藤太郎は思い切って告白するのですが、なかなか自分の方を見てくれない初海に、前の人のことが…と、言っちゃいけないことを言ってしまいます。

 

あらら…ですが、これが、結構うまい展開で、最後のシーンに生きてきます。

 

と、それは置いておいて、きっかけとなる他の出来事ですが、人間って、膠着状態にある時って、それが直接関係することではないにしても何かが動くことによって自分も変わるってことが結構あります。

 

蕎麦屋を廃業することにしたと告げられることもそうですし、友人から臨時教員をやらないかと誘われたり、教師時代の教え子が舞い込んでくることも初海を動かすことの要素になっています。

 

余計なことを思い出しました(笑)。その教え子がつきあっている男から DVを受けているという設定で、助けを求められ、その住まいに駆けつける辺りの展開はもう少し考えたほうがいいとは思います。

 

といったあれやこれやがあり、初見は亡くなった恋人の実家を訪ねます。

 

ああ、そういえば書いていませんが、この恋人が亡くなったわけは自殺です。これも何も語られませんが、映画なんですから、それ以外には考えられません(笑)。

 

で、この実家のシーン、両親の描き方は最初の方に書いたとおりちょっとばかり違和感はありますが、ここでの初海の告白シーンの唐突さはとても良かったです。

 

「お母さん、ごめんなさい。実は私たち4か月前に別れていたのです。」

 

どういうことかと言いますと、初海には何か引っかかっていることがあるから3年間真っ白な世界にいるわけで、おそらくその引っかかっているということ自体も自分自身考えたくないこととしてどこかに押し込めている状態なのではないかと思います。ですので、この実家行きも何かをなそうとしたための行動ではなく、つまり、心にトゲのように刺さっているこのことを話そうとして行ったのではなく、どこか無意識的に何かをしなければと思って来たわけで、そうした機は熟したみたいな(ちょっと言葉が違うけど)感じで突然口から出てしまった、そんな感じのシーンなんです。

 

ところが、その後に例の母親の台詞です。感嘆のため息が残念のため息に変わってしまいました(笑)。

 

ところで、この映画、初海の家ではいつもラジオが流れています。3年間ひとりだったのだろうと想像すれば、いつも流れているラジオという設定もうまいもんだと思いますが、そのラジオがラストシーンでとてもうまく使われ、ストンと気持ちよく落としてくれます。

 

帰りの列車待ちの時間に食堂へ入ります。ちょっと話が横道にそれますが(って、ここまできて、まだそれる?)、てっきりそばでも頼むのかと思いましたら、何とサンドイッチセットでした! 正直、私はずっこけそうになりました(笑)。

 

で、その食堂にラジオが流れています。リクエストのメッセージが読まれます。こんな感じという程度の内容ですが、

「僕には気になっている人がいます。先日、せっかくふたりきりで会う機会があり少し前へ進めたかなと思ったのですが、思い余って、相手を傷つけることを言ってしまいました。その人がこの番組を聴いていると言っていましたので、聴いてくれるといいなあと思いリクエストしました。」

 

DJ 「志熊藤太郎さんからのリクエストで『書を持ち僕は旅に出る』」

 

www.youtube.com

 

この映画の良さは朝倉あきさんと三浦貴大さんのふたりに依るところが大きいと思います。 

 

走れ、絶望に追いつかれない速さで
 

 

愛の小さな歴史

愛の小さな歴史