男と女、モントーク岬で

男の感傷物語にみえて、実は女性(たち)の物語かも…。

男性監督作品であれ女性監督作品であれ、およそ恋愛映画の大半は男の妄想物語ときまっています(異論は認めません(笑))が、それでも中には、その妄想にしとやかな品位をもって女の存在感を示す映画もあるわけで、この「男と女、モントーク岬で」はその一本だと思います。

フォルカー・シュレンドルフ監督が恋愛もの? と、(多分)3本しか見ていないのですが、最近の作品が「シャトーブリアンからの手紙」「パリよ、永遠に」とナチス絡みですので、そう感じるのも自然ではあります。

監督:フォルカー・シュレンドルフ

公式サイト

極めてシンプルな話です。

男マックスが、事実婚の妻と公言するクララがいながら、若き頃成就しなかった恋愛相手レベッカと再会し、クララと分かれるからもう一度やり直そうと迫るも、レベッカから断られ、それでも過去を引きずりつつ、何変わることなく今を生きていくという、大人の恋愛物語です。

公式サイトや他のサイトのあらすじを読まれて、上の文章を読まれると、え?と思われるかも知れません。でも、そういう話だと思いますよ(笑)。

恋愛映画が男の妄想物語だというのはそういうことなんですが、ただ、だからどうこうと、それを非難したいわけではなく、それを前提にしてもなお、いい映画はいい映画だと言いたいだけです。

映画.com にあるフォルカー・シュレンドルフ監督のインタビュー動画を見ていただければ何を言いたいか分かってもらえると思います。

もう少し詳しい内容と何がいいのかを書いていこうと思います。

マックス(ステラン・スカルスガルド)はドイツで暮らしているようです。作家として成功しており、新刊本のキャンペーンのためにニューヨークを訪れます。

映画は、その新刊の朗読会から始まります。

このシーン、結構長く、ワンカットであったかどうか記憶はありませんが、マックスのアップをずっととらえており、いきなり言葉の洪水のようなものですので、すべてがすーと入ってきたわけではありませんが、おそらく監督が聞き取ってほしいと思ったのは、人生とは、何かをやって失敗した後悔とやらずに後悔することのどちらかだ(みたいな感じ)の部分だと思います。

マックスのニューヨークでの滞在をサポートするのは出版社の新人リンジー(Isi Laborde-Edozien)、そしてもうひとり、同じく出版社で働くクララ(スザンネ・ウォルフ)がいます。このクララ、しばらくはどんな存在なのかよく分からなかったのですが、マックスは妻だと紹介していたにもかかわらず、ニューヨーク在住ですし、マックスもさほど頻繁にやってくるわけではないでしょうから、過去にマックスの担当をしており、男女の関係になったのではないかと思います。マックスのニューヨーク滞在中はホテルに一緒に泊まっています。

実は、クララのこのこと、結構重要なんです。

で、読書会のあとに、古い友人ウォルター(ニエル・アレストリュプ)に出会います。このウォルターもなかなか分かりにくい人物で、マックスは若い頃のパトロン的な言い方をしており、その割にはどことなくぎこちなく、マックス自身が何かを警戒しているような接し方をしていました。

ただ、結果としては、レベッカと再会させる役回りかなと思いますので、ラスト近くのワンシーンがちょっと浮いた感じになっていました。

本筋とは直接絡んできませんので先に書いておきますと、ウォルターから、何かをプレゼントしたいと言われ、クララとともに訪ねますと、絵画が割と無造作に置かれた部屋で、ウォルターいわく、「これらの絵は自分のものであり、自分の好きなようにしていいものだ(こんな感じ)」と、監督は、あの大昭和製紙の齊藤了英氏の話(ゴッホで検索してください)を知っているんじゃないかと思うような台詞を言わせていました。

それに対し、クララに「みんなのものよ」と言わせていましたので、ここに意図があるんだと思いますが、この映画、このシーンだけではなく全体的にちらちらと人間が持つ価値観、高価なものであるとか、社会的な地位などへの何らかの監督の視点が現れており、結構気になるところではあります。

ウォルターの人物像は、スノッブということだと思います。

マックスは、ウォルターから若い頃に付き合っていたレベッカ(ニーナ・ホス)がニューヨークにいることを知らされます。いても立ってもいられなくなった(そんな感じに見える)マックスは、リンジーにレベッカの職場に連絡させます。

このリンジーの役回りも何を意図しているのかはっきりはしませんが、映画全体としては意味のあることで、プライベートなことも秘書的人物にやらせることがごく普通のことなのか、それによりマックスの人物像を作ろうとしているのか、その後のモントーク行きがリンジーとであるとクララに誤解させるためなのか、さらにそれにより、クララとマックスの今の関係を連想させようとしているのか、このあたり、なかなか難しいのですが、おそらくそらら全部でしょう。

リンジーのことも本筋とは直接関係がありませんので先に書いておきますと、レベッカとのモントーク行きのために、マックスが新しくパンツを購入するのですが、その裾上げをリンジーが自分の住まいでやるシーンがあります。

ええ?その店でやってもらえないの?と不思議ではあるのですが、リンジーの住まいを見せる意図があるのかも知れません。つまり、リンジーの住まいはダウンタウンの小さなアパートで、それを見てマックスが驚くというシーンを入れ、とはいっても、それ以上にマックの心は動くわけではないのです。

なかなか本筋に入れないですね(笑)。でも、いい映画ってこういうことかも知れません。まわりの細かいことが違和感なく微妙に絡み合い、全体として本筋を浮かび上がらせるということなのでしょう。

レベッカの職場への電話で面会を拒否されたマックスは構わず押しかけます。

レベッカは弁護士として成功しています。それも並外れた成功のようで、マンハッタンの高層ビル(かな?)にオフィスを構え、アッパーイースト?ウェスト?にアパートを購入できるような富裕層となっています。

このレベッカの登場シーン、むちゃくちゃいいです。

予告編からのカットですが、かなり仰角で撮っていますよね。他にも下から仰ぎみるカットが何シーンかありました。

この後のレベッカのアップの表情がすごいんです。驚きもあるのでしょう、様々な過去への思いが入り混じっているのでしょう、一見迷惑そうにも見えるその複雑な表情は、こういう経験のある人はきっとドキッとすると思います(笑)。

いずれにしても、レベッカは言葉少なに深入りを避けようとしています。それに比べて、マックスの脳天気な表情(笑)、自分に都合のいい思い出しかないのでしょう。

このニーナ・ホスさん、いい俳優さんです。古い記事ですのでほとんど何も書いてありませんが、「東ベルリンから来た女」、今でも自転車で駆けるシーンが浮かんできます。「あの日のように抱きしめて」もそうですね。

で、マックスは、出版パーティーの夜、抜け出してレベッカの家に押しかけます。

そうそう、その前に、レベッカと友人 Rachel(ブロナー・ギャラガー)のシーンを入れ、マックスには見せないレベッカのある意味本心のようなものを見せるシーンを入れています。こういう構成もうまいですね。

このマックスの押しかけシーンもいいんですよ。階下(管理人がいたかな?)からセキュリティ・ドアホンでレベッカの部屋を呼びますので、レベッカと友人はモニターでその顔を見ることになります。幾度も鳴らしますが、レベッカは返事をしません。マックスはレベッカがいることが分かっているのか、自己中なのか、カメラに向かって自分の存在を笑顔で誇示するわけです。このマックスの顔がむちゃくちゃいいです(笑)。

結局、その友人が返事をしてしまいます。こういう友人の置き方がよく練られていて感心します(偉そうですが…)。

友人は帰ってしまいますので、2度めの再会シーンということになり、このシーンは、とにかくマックスにはいい思い出しかない上に酔っ払っていますから、相変わらず自信満々みたいな感じですが、レベッカの方を少し軟化させるシーンですね。

二人の心の揺れみたいなものは言葉で伝えるのは不可能ですので見てください。ひとつだけ、マックスに、こんな家が買えるのかとびっくりさせていました。

次の日か、その次の日だったか、出版社で本にサインをしている時に、リンジーがレベッカから留守電が入っていると電話を持ってきます。内容は、週末にロングアイランドへ行くのでよかったら一緒にどうかとの誘いです。実は、その島の先端モントーク岬はふたりにとって思い出の場所なのです。

心躍る気持ちのマックスでしょうが、そこにはクララもいますし、さらに、その日の夜にはクララがセッティングしたパーティーも予定されています。

これ、相当計算された構成だと思います。クララにリンジーと行くのかとマックスに問わせ、その実、クララには分かっているのだと見せているのです。

確かこのシーンだったと思いますが、その後、出版社の同僚がクララに、次の小説は君の話だよと、慰めともからかい的なことともつかないことを言っていました。

書いていませんでしたが、マックスの新作の内容は、若き頃の実らなかった恋愛を書き綴ったものであり、その相手がレベッカだということです。

で、本筋のモントーク行きです(笑)。

ストリートビューで見てみましたがいいところですね。行ってみたいです。

レベッカのモントーク行きの目的は、両親のために家を購入しようと見に行くというものですが、持ち主が不在で一泊することになります。

このモントークのシーンは見ないとわからないですね。また、当然、見る人によって感じることも違うでしょう。互いに、過ぎ去った17年の時、つまりは、懐かしさや、後悔や、迷いや、17年前に感じていた希望や、そんなあれやこれやを心の中では行き来させながら、相手が今何を思い、どうしようとしているのかを考え、自分はどうすべきかを思い悩むわけです。

ひとつだけ、マックスがもう一度やり直そうと迫ったときのレベッカの答は事実なんでしょうか? レベッカはこう答えていました。

あなたと別れた後、運命的な人と出会ったの。でもその人は亡くなってしまった。その後、自分は精神を病んでしまい、その人の心の中に入った(こんなニュアンスでしたが…?)。だから、無理なの。

作り話なんでしょうね。

まあとにかく、ニューヨークに戻りますと、当然、女性と行っていることは分かっている上に、連絡もせずパーティーまですっぽかしていますので、クララはホテルを出て家に戻ってしまっています。

マックスはクララの家を訪ねます。クララのアパートはリンジーと同じように狭い部屋である上に一階はケバブの店で部屋にまでその匂いがするのです。

マックスは初めて来たのです。マックスがどういう人物かを見せているんでしょう。

そして、マックスがニューヨークを発つ日、クララが空港まで送ります。クララは車の窓越しにかすかに手を上げ去っていきます。

ああ、切ないわあ…、クララの愛の深さが…(涙)。

マックスが取材を受けてこんなことを言っていました。ちょっと適当ですが、

記者:以前のあなたは体制に批判的でしたが、最近の言動は肯定的に感じられます。

マックス:私は「木」ではない。

記者:どういう意味でしょうか?

マックス:私は動物のように移動する。

まあ、ある意味真実ではありますが、そう簡単には同意できませんね(笑)。そこらあたりは是非、フォルカー・シュレンドルフ監督のインタビュー映像をご覧ください。

eiga.com

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