サーミの血

老いたエレ・マリャの表情とシワに数十年の思いを感じる

ラップランドは、映画の舞台になったりしますし、割と耳にする言葉、地域なんですが、サーミ人というもともと遊牧を主とする先住民が暮らしていた地域を指す言葉なんですね。ただ、『ラップランドという呼称が本来、”辺境”の地を指す蔑称』でもあるので注意が必要とのことです。

で、1930年代にスウェーデンが行っていたサーミ人の分離政策、と言っていいのか、要はスウェーデン語しか認めないという同化政策を行いつつ、劣った民族であるとして、スウェーデン社会に入ることを認めない分離政策をとっていたという差別の話です。

監督:アマンダ・シェーネル

北欧スウェーデン、知られざる迫害の歴史―
幻想的で美しい自然の大地ラップランドに、サーミの歌ヨイクが響く
公式サイト

これ、他国の話と思っちゃいけないんで、日本でも、1903年に大阪で行われた内国勧業博覧会で、アイヌや琉球の人々に民族衣装を着させて日常生活をさせ「展示」するという、考えられないことをやっているのです。

人類館事件」という有名な話です。

まあそれはともかく、映画は、80歳くらいかと思われる女性エレ・マリャが、生まれ育ったサーミの土地に戻るところから始まります。

何度か見た予告編だけの情報だったのですが、なぜかすぐに、ああ、あの女の子(この時点で名前も知らないので)の年老いた姿だとすぐに分かったのです。

もちろん、実際は、妹が亡くなったために戻ることやその妹は亡くなるまで姉のためにトナカイにマーキング(だったかな?)をしていたなどが語られるにつれてなんですが、一番強く感じたのは、エレ・マリャ役のマイ=ドリス・リンピさんの表情(とそのシワ)に数十年の苦悩やそれにもかかわらず消え去らない郷愁の念を感じたからです。

オーバーな言い方をすれば、年老いたエレ・マリャが故郷の大地を見つめるその表情でこの映画の全てわかったような気がする、そんな感じです。

その後、若きエレ・マリャが、「サーミの血」を捨てることとなった、おそらく10代後半かと思われる時代の話になるのですが、再び、ラスト、(映画での)現代に戻り、エレ・マリャはひとり教会に向かい、棺を開けて、妹のニェンナに顔を寄せて抱きしめます。

そして、サーミの土地を見つめるエレ・マリャ。

もちろん、若きエレ・マリャのレーネ=セシリア・スパルロクさんの力強く気丈な感じも良かったのですが、このマイ=ドリス・リンピさん、すごく印象に残ります。

1943年、スウェーデン生まれ。サーミ人。俳優、アーティストとして活動するかたわら、トナカイを飼育している。

とあります。

スウェーデン人のサーミ人に対する偏見と差別は、先日見た「ドリーム」のようにかなり単純化されて描かれます。

エレ・マリャたちが通れば、皆が皆、白い目でジロッと見るシーンが続きますし、襲われて耳を傷つけられたり、あれはトナカイのマーキングを揶揄していたんでしょうか、中でも、一番精神的にきついのは、サーミ人を人類学の研究対象として、エレ・マリャたちの頭や鼻のサイズをノギスで計ったり、ついには、写真を撮るために裸になるように要求します。

エレ・マリャは、「サーミの血」を捨てたいと願う少女として描かれており、学校での成績も良く、スウェーデン人の先生にも好かれ、スウェーデン人の学校に進学したいと申し出ますが、先生は事も無げに出来ないとエレ・マリャの望みを打ち砕きます。

なんとか今の環境から抜け出したいと願うエレ・マリャは、たまたまパーティーで知り合った男の子ニクラスを利用して願いを叶えようとします。公式サイトにはニクラスとの出会いを「恋」のように表現していますが、映画を見る限りそれはないですね。利用という表現も的確ではありませんが、言うなれば、そんなものは見えていなくて、ただ今の環境から抜け出したいそれ一途の状態でしょう。

サーミの土地から列車に乗って都会へ行ったり、なぜか学校に入学できたり、そのあたりの描写は結構適当なんですが、まあそれも、若きエレ・マリャのレーネ=セシリア・スパルロクさんの力強さでなんとかツッコミ無用で見られるようには出来上がっています。

結局、エレ・マリャは「サーミの血」を捨て、教師としてスウェーデンに同化したということです。

その思い、おそらく言葉にできないその思い(悔恨か?)が冒頭に書いたマイ=ドリス・リンピさんの表情とシワに現れていたと感じる映画でした。

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