マンチェスター・バイ・ザ・シー

ムーンライトよりは作品賞に値するのではと思いますが、それでも物足りない…

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」って、「海辺のマンチェスター」といった意味合いのラブストーリーか失恋ものかと思っていましたら、なんと(アメリカの)町の名でした。ボストンから北東に車で1時間15分(映画で言っていた)の海沿いの町、もともとは漁村だったようですが、今は避暑地のようでもあります。

その北西60kmにはマンチェスターという都市があります。どちらも同名のマンチェスターだけだったようですが、混同を避けるため1989年に現町名の by the sea をつけた名に変更したようです。30年くらい前までは気にならなかったんですかね(笑)。

監督:ケネス・ロナーガン

ボストンで便利屋として働くリーのもとに一本の電話が入る。故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーにいる兄ジョーの死の知らせだった。兄は息子パトリックの後見人にリーを指名していた。リーは過去の悲劇と向き合わざるをえなくなる。なぜリーは誰にも心を開かず孤独に生きるのか。リーは、父を失ったパトリックと共に、この町で新たな一歩を踏み出すことができるのだろうか?(公式サイト

今年2017年のアカデミー作品賞ほか6部門にノミネート、ケーシー・アフレックが主演男優賞、監督でもあるケネス・ロナーガンが脚本賞を受賞しています。

脚本賞が取れて作品賞が取れないのは、世の中いろいろあるにしても(笑)、監督、あるいは編集が悪いからでしょう(スマソ)。ただ、それでも「ムーンライト」よりは作品賞にふさわしいのではないかと思います。

映画をひとことで言いますと「失意もの」、というジャンルがあるわけではありませんが、こういう内容の映画はそこそこあるんじゃないでしょうか。

つまり、ある人物が自分の過失で家族なり自分が属していた場所を崩壊させてしまい、失意から社会と断絶して暮らしていますが、何らかの、たとえば新しい場所での出会いによって力づけられ、復帰への道を歩むといった内容です。

この映画では、主人公のリー(ケイシー・アフレック)が自分の不注意から失火してしまい、幼い子供3人を亡くしてしまいます。本人は自殺を試みますが失敗、妻からは当然責められまくり、本人の精神的ダメージも大きく、町を出て、ボストンでひとり後悔に苛まれながら生き延びています。

リーには兄とその息子パトリック(ルーカス・ヘッジズ)がいますが、兄は心臓の病で亡くなり、リーは兄の遺言でパトリックの後見人になります。

映画はここから始まり、回想シーンを挿入しながら、リーの再生を物語っていきます。

リーの別れた妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)との不和? 軋轢? うまい言葉が見つかりませんが、妻はもうリーを許すし、責め立てた自分を許してと泣きながら懇願しますが、未だリーは(多分自分を許すことを)受け入れられません。

このシーンの二人、ケーシー・アフレックとミッシェル・ウィリアムズは良かったですね。

パトリックは16歳、ガールフレンドや友人たちとの付き合いの中で父の死を紛らわせているようですが、ショックは大きいでしょう。母親は、理由は語られませんが、アルコール依存症であったようですでに離婚しています。

兄の遺言は、リーに町に戻りパトリックの面倒をみることを望んでいますが、リーには受け入れられることではありませんし、パトリックは街を離れボストンへ行くことを拒否します。

映画はそうした人間関係を2時間あまりにわたり描いていくわけで、最後はリーが町に戻る決心をすることで終わります。

ただ、ハッピーエンドというわけではなく、町に戻るのも期限付きだった(?)と思いますし、パトリックの将来へも余韻を残すような終わり方です。

ということで、失意からの再生ものということになりますが、全体的に間延び感が強く、映画が長く感じられます。

一番の問題は、映画の語り口が下手くそ(スマソ)です。

確かに、仮にこの映画のような物語が現実にあったとすれば、実際の人間の行動やことの進展のあれやこれやはこの映画のような感じでしょう。

どういうことかと言いますと、現実はさしてドラマチックに展開しませんし、人はそう簡単に変われませんし、ふっと過去を思い出すにしても突然で、そもそもそれは他人にはわからないわけですからそれが回想だと説明する必要もないわけです。

それが現実だという意味ではこの映画は、物語の発端は作り過ぎ感はあるにしても、その後の展開はリアルだと思います。

ただ、映画的リアルは現実的リアルとは別物でしょう。単調で平板な日常をそのまま切り取っても映画になりません。

単調でつまらない日常あるいは人生を切り取って映画的リアルを導き出すのが映画だと(私は)思います。

ブルーバレンタイン

ブルーバレンタイン