サラエヴォの銃声

前半はややかったるいが、後半に至れば傑作!

昨年2016年のベルリンで銀熊審査員グランプリを受賞しています。

今では「サラエヴォ」と聞きますと、「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」を思い浮かべますが、この映画は第一次大戦のきっかけとなった「サラエヴォ事件」が主なテーマです。

ただ、直接的テーマはそうであっても、現在に至る(バルカン半島周辺の)人々の争い、民族、国家などなど、さらに言えば、いま人類が直面している問題を扱っている映画と言えます。

監督:ダニス・タノヴィッチ

サラエヴォの“ホテル・ヨーロッパ”は、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエヴォ事件から100年の記念式典を行うための準備に追われていた。仕事熱心な受付主任、ジャーナリスト、100年前の暗殺者と同じ名を持つ謎の男、演説の練習をするVIP、ストライキを企てる従業員たちとそれを阻止しようとする支配人…。100年の時を越えてふたたび一発の銃声で破られることになる——(公式サイト

それにしても、ダニス・タノヴィッチ監督の発想力といいますか、構成力といいますか、あるひとつのことから物語をふくらませ、重層的に構成し、そして最後には見る者に現実の矛盾や不条理を突きつけるという、そうした能力には驚かされます。

デビュー作「ノー・マンズ・ランド」では、戦争状態の中立地帯に敵同士の個人を置いた場合どうなるのかということから国連やメディアの無責任さや身勝手さまで描き切り、「鉄くず拾いの物語」では、新聞で(らしい)ある夫婦のことを知るやその当事者に当事者自身を演じさせることで現実をリアルに描き切り、そして、この「サラエヴォの銃声」では、ベルナール=アンリ・レヴィというフランスの作家(ウィキによると哲学者、小説家、映画製作者、コラムニスト)が書いた戯曲『ホテル・ヨーロッパ』をもとに大きくふくらませた映画になっています。

公式の Facebook から引用しますと、

企画の起源は、2014年6月にサラエヴォの国立劇場でプレミア上演された、ベルナール=アンリ・レヴィの戯曲『ホテル・ヨーロッパ』です。
この戯曲は、サラエヴォのホテルの一室での男のモノローグで、彼はフランツ・フェルディナンド大公の暗殺100周年記念でする演説のリハーサルをしているのです。
私はこの戯曲の映画化を打診されたわけですが、リハーサルを何度か見ているうち、この戯曲の精神を中心に置きながら、そこからアイディアを広げてゆくことを思いついたのです。これは、私たちの歴史の中で最も血まみれの世紀を、現代のボスニアから見たものです。

と監督自身が語っています。

あるテーマを提示されると、それが外からであれ、自分の中からであれ、ふっとひらめくものがあるんでしょう。

この映画では、舞台でその男を演じた俳優ジャック・ウェバーさんが、記念式典のためにフランスからやって来る来賓役を演じており、その彼がホテルの部屋で演説の稽古をする姿を監視カメラで捉えるという何とも洒落た取り入れ方をしています。舞台の上演映像が映画のラストに少し流れます。

映画のスタイルは、ある種グランドホテル方式とも言え、つまりホテルという一つの場所を行き交う様々な人の人生を描くことで物語を進めていく群像劇となっています。ただ描かれるのは宿泊客ではなく、ホテルで働くフロント係、コック、ランドリーなどの従業員と支配人、警備のための警官(かな?)、そして記念式典のための特別企画だと思いますが、屋上ではテレビ局のインタビュー番組を中継しており、1914年のサラエヴォ事件の暗殺者ガヴリロ・プリンツィプについて、犯罪者か英雄かと言った議論がかわされます。

主要な物語は二つあり、ひとつはホテルの従業員たちが計画しているストライキをめぐる物語、そしてもうひとつが、テレビ番組のキャスターと取材される側として登場する暗殺者と同じ名を持つガヴリロ・プリンツィプの激論とその後の二人の展開です。

ホテルは、経営不振なのでしょう、すでに2ヶ月給料が支払われていないらしく、従業員たちは注目をあつめるためにマスコミが集まる記念日にストライキを決行しようと計画しています。

ただ、労働組合のような組織的なものがあるわけではなく、リーダーがいなくなれば腰砕けになるような、それぞれが皆迷いを持っているような計画です。皆解雇という不安もあるでしょうし、ストライキで何かが解決するといった希望も持てていないようであり、実際熱っぽさはまるでありません。

この描き方がリアリティがあって何ともやるせないです。

映画にはホテルの経営者は出てこなく、経営者側として登場するのは支配人であり、その支配人自体も給料をもらえていない労働者であるわけで、もう最初から(この映画の中では)解決しないことが提示されているも同然で、とてもいい方へいくとは考えられない設定なわけです。

上の引用の画像の女性、フロント係の責任者ラミヤ(スネジャナ・ヴィドヴィッチ)なんですが、多分有能なんでしょう、支配人に信頼されているようで、てきぱきと指示をこなし、ハイヒールでホテル内をカツカツと動き回る様子は結構小気味よいです。

この監督、撮影技法についてはその映画ごとに適切なものをと考えているのか、あまり特徴的なものはなく、この映画では、ラミヤの肩越しからのショットでラミヤとともに動き回るといったダルデンヌ兄弟ばりのカメラワークを多用しています。

ラミヤはとにかくよく動き回りますので、それにつれホテル内の様々な様子が捉えられる仕組みになっているわけです。

ストライキに話を戻しますと、支配人はたとえ雇われ身であってもホテルを任されているわけですからストライキを妨害しようと、ホテルの地下にあるカジノを取り仕切っている裏社会(的な)人物にストライキ潰しを依頼します。

いいのか悪いのか、こうした人物の登場に違和感がありませんし、ドラマが重層的になります。カメラは支配人についてまわったりもしますので、ホテルのロビーという表の顔から煙草の煙がただよう中のポールダンスや賭博という裏(的)世界へ移動していく流れもいいですね。

で、その人物は部下を使って従業員のリーダーを袋叩きにします。ラミヤはたまたまそれを目撃するわけですが、それが次なるドラマへとつながります。

リーダーがいなくなったことで従業員たちはどうするか相談するわけですが、最も古株であるラミヤの母親をリーダーに決め、母親も受け入れます。

そのことを知った支配人は再度かの人物に対処を依頼します。対処といっても、具体的に痛めつけろというわけではありませんが、当然暴力行為であることは分かっていますし、また母親と支配人は長く一緒に働いてきた仲間でもあるわけですが、自己保身なのかホテルを守りたいのか、監督は、この支配人に苦悩のようなものを安易に演じさせることはしません。

こうした人物設定がこの監督には多いですね。人間に厳しいんでしょう。

この支配人、これだけにはとどまりません。ラミヤを呼びつけ、解雇を言い渡し、さらにはセクハラ行為にまでおよびます。

結局、このストライキの件は、もうひとつの物語の帰結によって最後まで描かれませんが、とにかく、こうした重層的なドラマの構成力はすごいですね。

そして、もうひとつの主たる物語、ホテルの屋上でのテレビ番組は、キャスターが学者やいわゆる知識人にサラエヴォ事件についての考えを聞いていきます。前半でも、そこそこの長さがあったと思いますが、動きもありませんので(映画的には)ややとらえどころがなく、ちょっとばかりかったるく感じます。直接的に言葉として伝えたかったのか、意図してのことだとは思いますが、字幕では追っかけるだけになってしまいます。

ところが、ガヴリロ・プリンツィプを名乗る男のインタビューに移ってからは、キャスターとの口論になり、俄然面白くなります。

結局、口角泡を飛ばしての口論となり、掴みかからんばかりの勢いになるのですが、一旦休憩をはさみますと、この二人の関係は意外な展開をみせます。

単純に言えば、争いの後は和解ということなんですが、このあたりの微妙な人間関係は言葉で説明するのは無理ですので映画を見てください。エレベーターを待つ二人のシーンは面白いですね(笑)。

で、結末です。

一旦、和解へと進んだ二人はちょっとしたことから再び争いへとベクトルが向かい始めます。

あいにく、男は銃を持っています。

そして、フランスからの VIP を警護するための警察官が、VIP を見失うまいと焦ってその場に遭遇します。

そして、再びサラエヴォに一発の銃声が響きます。

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