耳に残るは君の歌声/サリー・ポッター監督

かなり断片的な描かれ方ですが、音楽の力なのか、見(聞き)入ってしましました

不思議な映画ですね。まるであらすじを読んでいるような断片的な描かれ方しかされていないのですが、印象は悪くなく、見入ってしまいます。

多分、音楽の力でしょう。ですから、正確には聞き入ってしまうの方が正しそうです。

ほとんどがオペラのアリアで、冒頭流れるのが、ビゼーの「真珠採り」から、タイトルにもなっている「耳に残るは君の歌声」、ただ、これは日本語タイトルに使われているだけで、映画の原題は、「The Man Who Cried」です。さらに、この曲は、映画の中盤、主役のフィゲレ、英語名スージー(クリスティーナ・リッチ)がオペラ団で働くきっかけとなっていくシーンでも使われています。

その後も、オペラのシーンが多いこともあり、たくさん歌われます。さほど詳しいわけではありませんので、調べずに分かる曲は多くないのですが、それでも、大好きな曲「星は光りぬ」(プッチーニ/トスカ)が幾度も使われていることで、映画のポイントもかなり高くなってしまったかも知れません(笑)。

そうした選曲の雰囲気を生かすためなんでしょう、音楽にクラシックの作曲家オスバルド・ゴリホフさんが起用されています。調べてみたら、映画音楽はこの作品が初めてのようで、その後は「コッポラの胡蝶の夢」も手がけているとのことです。あれもいい映画でした。

映画には、かなりいろいろなテーマが織り込まれています。中心となっているのは、フィゲレが幼い頃に生き別れになってしまった父を探す親子もの、そして、時代背景となっているナチス、ファシズム、ユダヤ人排斥、さらにジプシー(映画の中で使われているのでそのまま使用)差別の問題、もちろん恋愛も当然ながら重要な要素なのですが、冒頭にも書きましたが、それらにさほど迫ろうという意図はないようで、各シーンが断片的につなげられている印象が強いです。

たとえば、フィゲレは、ロシアからイギリス、フランス、そしてアメリカへと渡って、ついに父と再会するわけですが、それらの行動はフィゲレの意思というよりは、むしろ偶然性を強く感じさせるものであり、エンディングにしても、願いが叶ったといった熱いものを感じさせるようには作られていないようです。それは、ジプシーの青年チェーザーとの恋愛にも同じことが言え、出会いも別れもかなりあっさりしています。

こうしたことは、「ジンジャーの朝 〜さよなら、わたしが愛した世界」でも同じようなことを感じましたので、あるいはサリー・ポッター監督の手法なのかも知れません。「愛をつづる詩」がどうであったか記憶がありませんので、もう一度見てみようかと思います。未見の「オルランド」や「タンゴ・レッスン」も…。