そんなには褒めないよ。映画評

映画を見てから読むブログ

「恋の罪/園子温監督」は、自分自身が「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と苦悩しているのでしょうか?

上映終了が明日にせまった昨日、やっと見てきました。
月曜日の午後、それも公開後ひと月くらい経っているんじゃないかと思いますが、それでも結構入っていましたね。

何と書いていいのでしょう(笑)。マジでつくっているとも思えない映画にマジレスみたいなこと書いてもどうしようもないし、困ったもんです。

今どき、女性がセックスで解放されるなんて価値観はあり得ないし、そもそも描いているのは、恋でも愛でもセックスでもなく、単なる××シーンだし…。

ラストシーンも、ちょっとばかり観客をなめてるかもね。

ある日、女性が、ゴミ収集車を追いかけて、見知らぬ街に迷い込み、突然何もかも無意味にみえて失踪するって、いつの話? バブル時代あたりにはそういう自分探し的な価値観もあっただろうけど、今、これやられると、「あんたたちはこの程度だろう」って、ふざけられてる感じがするんだけど、どうなんでしょう? 私だけ?

そのふざけ具合は、「恋の罪」というタイトルやカフカの「城」や「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」の詩、田村隆一さんという詩人とのことですが、その引用の薄っぺらさや全編に流れる音楽、こちらもマーラーのアダージェットを相当意図的に流しまくっているんですが、そのあたりに極まれりです。

ただ、もう少しマジに考えてみると、ちょっとばかり気になることがあります。

冷たい熱帯魚」でも「ん?」と違和感を感じたのですが、この物語でも、そもそもの原点を、美津子(冨樫真)のファザコン、さらに言えばギリシャ神話的近親相姦で解決しようとしたりする安易さが見え隠れし、まあ好意的に裏読みすれば、園子温監督自身が「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と苦悩していると考えるべきでしょうか…。

もともと、理屈が先に立った映画づくりをする人のようですが、「愛のむきだし」では、なぜかそれが理屈を越えた力を持っていたんですよね。もう一度見てみよう。