そんなには褒めないよ。映画評

ミニシアター系映画レビュー*沈黙する言葉

映画タイトルの50音順メニュー作りました!

おすすめ映画直近の4作品

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ナチュラル・ウーマン

監督:セバスティアン・レリオ

(ネタバレ)ロッカーの中にあったもの、それはマリーナがマリーナであるためのもの

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花咲くころ

監督:ナナ・エクフティミシュヴィリ、ジモン・グロス

(ほぼネタバレ)1992年トビリシ、14歳エカとナティアの二人は確かにその時そこで生きていたという映画

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ソニータ

監督:ロクサレ・ガエム・マガミ

(ネタバレ)ドキュメンタリーとしての問題提起も含めオススメです

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汚れたダイヤモンド

監督:アルチュール・アラリ

(完全ネタバレ)ラスト10分のピエールの描き方が見事

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最新記事

1973年のピンボール/村上春樹その後2

風の歌を聴け/村上春樹その後1 - 沈黙する言葉(旧)以降、随分間があいてしまった。すでに図書館への返却期限が過ぎている。今日返しに行こう。

で、「1973年のピンボール」だが、ん...どうなんだろう...。30年前の作品を今の視点で語っても意味はないのだが、それにしても、時代は違っても、何かこう、言葉の裏から立ちのぼって、今に迫ってくるような何かがあってもよさそうなものだが、私には何も感じられない。

「僕」も「鼠」もやたら、何か空虚さというか、やるせなさというか、そんなものを抱えているようだが、それは、言うなれば、「私、貧血なので朝すぐには起きられないの」と、誰彼なく自慢話のように語る女性に似ていなくもない。ん? この言い回し、あるいは女性差別にならないか? やや心配だが、ただ、この台詞を吐く男性にあったことはない。

女性がらみの話題で言えば、前作もそうだが、ここに書かれている女性には、まるで身体感(肉感)が感じられない。双子にしても、「鼠」の相手(ほとんど語られていなかったような)にしても、描き方は極めて表層的であり、言うなれば「僕」や「鼠」の鏡のような存在だ。さらに言えば、「鼠」も「僕」の一面であり、結局、この作品に描かれている人物は、「僕」たった一人であり、そして、「僕」は社会とも他者とも一切関係を持てていない。

この作品の発表年、1980年とはどんな時代だっただろう。70年前後の混沌とした時代とその後バブルへひた走る、ちょうど谷間の時代だったような、吹っ切れたやつは金儲けに走り、未だ引きずっているやつは、何かしようにも方向が見定まらない、さらにそのことにうんざりする、そんな時代の最後の時期だったような気がする。

その意味では、ある種、時代の空気とも言える「過去への執着」が色濃い作品なのだが、問題は執着している「過去」が見えてこないことだ。「鼠」の過去は女性だし、「僕」が突如後半から執着し始めるピンボールにしても女性のメタファーとして扱われており、結局、過去への執着=女性ということになるのだが、その女性が、先に書いたように一向にカタチとして立ち現れてこない。

結局、私には、懐かしさを懐かしがっている、その空気にまどろむことを楽しんでいる、そういった作品にしか読めなかった。

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